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旭川地方裁判所 昭和41年(わ)255号 判決 1968年3月06日

主文

被告人は無罪

理由

第一、本件公訴事実は、

被告人は昭和二二年四月空知郡中富良野村長に就任し、昭和三九年五月町制がしかれて中富良野町長となり、継続して同村(町)の行政執行を統轄してきたものであるが、

第一、村民税の賦課徴収にあたつては、地方税法および中富良野村条例に基づいて課税且つ徴収すべき任務があるのにかかわらず、その任務に背き、

(一)  昭和三八年四月頃、同村役場において、給与所得者の利益を図る目的を以て、助役島口豊、税務係長岡田良之等と共謀の上、給与所得納税義務者三八一名に対する昭和三八年度村民税の賦課に際し、地方税法および同村条例に定めるところの課税標準算出方法をとらないで総収入金額からこれが一〇〇万円以下のものについては一律に三九%を、これが一〇〇万円をこえるものについては一律に三九万円を各控除して算出する方法をとつて法外に控除を行ない、七七万三八〇〇円の過少賦課をしたうえに同年五月ごろより昭和三九年三月ごろまでの間同額相当の過少徴収をなし、よつて同村に対し同額相当の損害を加えた、

(二)  昭和三九年四月頃、同村役場において、被告人が前年任期満了により退職したさい支給された退職金三五九万〇六四〇円に対する村民税賦課にさいし、自己の利益を図る目的を以て助役林信一、税務係長岡田良之らと共謀の上その課税標準が一二九万〇三〇〇円にしてその村民税が五万一〇五〇円となるのに、課税標準を半額の六四万五一五〇円として村民税二万一五九〇円と過少賦課し、よつて同村に対しその差額二万九四六〇円相当の損害を加えた、

第二、北海道町村職員共済組合に加入し組合員となつている同村(町)職員より同組合に対する掛金を徴収して同組合に納付するとともに、職員が属している普通地方公共団体である同村(町)の同組合に対する負担金を村(町)経費より支出して納付るす地位にあるところ、掛金の徴収および負担金の支出は同組合の定款に定められた率を組合員の本俸に乗じてなすべき任務があるのに、その任務に背き、同村(町)職員の利益を図る目的を以て、掛金の率を減ずる反面負担金の率をあげることにより掛金の一部を負担金名下に村(町)経費より支出しようと企て、同村(町)役場において、助役島口豊(昭和三八年八月まで)、同林信一(同月以降)収入役代理岡田良之(同月以降)らと共謀の上、

(一)  昭和三八年度においては、同組合定款では短期掛金が千分の四三・五、長期掛金が特別職員については千分の五五、一般職員については千分の四四、短期負担金が千分の五四・五、長期負担金が特別職員については千分の六九、一般職員については千分の五五となつているのに、短期掛金を千分の二七・五、長期掛金を千分の一九と減率する反面、短期負担金を千分の七〇・五、長期負担金を特別職員については千分の一〇五、一般職員については千分の八〇と増率し、別表(一)記載のとおり同年四月二二日同年度四月分として短期負担金一万七六八二円、長期負担金二万八四五六円、合計四万六一三八円を過大に支出したのをはじめとして、昭和三九年三月二三日までの間合計五八万七四九一円を過大に支出し、よつて同村に対し同額相当の損害を加えた、

(二)  昭和三九年度においては、同組合定款では短期掛金が千分の四五、長期掛金が同年四月より同年九月までの間特別職員については千分の五五、一般職員については千分の四四、同年一〇月以降特別職員については千分の五二、一般職員については千分の四二、短期負担金が千分の五三、長期負担金が同年四月より同年九月までの間特別職員については千分の六九、一般職員については千分の五五、同年一〇月以降特別職員については千分の七二、一般職員については千分の五七となつているのに前年度(一)記載同一の率に減増率し、別表(二)記載のとおり、昭和三九年四月二五日同年度四月分として短期負担金三万一〇九三円、長期負担金四万五八〇〇円合計七万六八九三円を過大に支出したのをはじめとして、昭和四〇年三月三〇日までの間合計九五万四七九六円を過大に支出し、よつて同村(町)に対し同額相当の損害を加えた、

(三)  昭和四年度においては、同組合定款では短期掛金が千分の四六・五、長期掛金が特別職員については千分の五二、一般職員については千分の四二、短期負担金が千分の五一・五、長期負担金が特別職員については千分の七二、一般職員については千分の五七となつているのに、前々年度(一)記載同一の率に減増率し、別表(三)記載のとおり、昭和四〇年四月三〇日同年度四月分として短期負担金四万五七〇七円、長期負担金五万六〇五〇円合計一〇万一七五七円を過大に支出したのをはじめとして、昭和四一年三月二五日までの間合計一二三万一二七〇円を過大に支出し、よつて同町に対し同額相当の損害を加えた、

第三、町村議員共済会に加入している同村(町)議員二二名より同共済会に対する掛金を徴収して同共済会に納付する任務を有するところ、その任務に背き、議員の利益を図る目的を以て、掛金を村(町)経費より支出しようと企て、同役場において助役林信一、収入役代理岡田良之らと共謀の上、

(一)  別表(四)記載のとおり昭和三九年四月二五日同年度四月分として掛金七七〇〇円を支出したのをはじめとして昭和四〇年三月二七日までの間合計九万二四〇〇円を支出し、よつて同村(町)に対し同額相当の損害を加えた、

(二)  別表(五)記載のとおり昭和四〇年五月四日同年度四月分として掛金七七〇〇円を支出したのをはじめとして昭和四一年三月一五日までの間合計一二万三二〇〇円を支出し、よつて同町に対し、同額相当の損害を加えた

ものである。

というものである。(別表は省略)

第二証拠によれば、被告人が昭和二二年四月空知郡中富良野村長に就任し、昭和三九年五月町制がしかれて中富良野町長となり現在に至つているが、村長就任以来現在まで、継続して同村(町)の行政執行を統轄してきたものであることが認められる。

公訟事実第一の(一)(給与所得控除)について

関係証拠によれば、給与所得納税義務者三八一名に対する昭和三八年度村民税の賦課に当り、地方税法および中富良野村条例に定めるところの課税標準算出方法をとらないで、総収入金額一〇〇万円以下のものについては一律に三九%を、一〇〇万円をこえるものについては一律に三九万円を控除して算出する方法が中富良野村でとられ、昭和三八年四月頃七七万三八〇〇円の過少賦課がなされたこと、並びに、このような算出方法は被告人が助役島口豊、税務係長岡田良之等と相談の上採用したものであることが認められる。

右の方法をとり過少賦課することは、給与所得者の利益となり、反面同額相当の損害を中富良野村に与えたものである。

背任罪が成立するためには、被告人の右所為が法律および条例に従つて村民税を賦課すべき村(町)の任務に背いたものであることを要するとともに被告人が任務に背いて行為する認識を有することを要するから、これらの点について以下審案する。関係証拠によると

(1)  中富良野村(昭和三九年五月町制施行により中富良野町となる)は、北海道空知郡に位置し、昭和三八年当時、人口九七三二人、面積一〇八・四九平方粁の農村(世帯数一八五〇中農業所得者約一二〇〇、営業所得者約一一〇、給与所得者その他約五四〇)で、その財政規模は、同年時当初予算総額約一億四〇〇〇万円、そのうち地方交付税約五二〇〇万円、補助金約三四〇〇万円、村民税収入約一四〇〇万円(所得割合計約一三〇〇万円)で、昭和三八年度ないし昭和四〇年度における個人村(町)民税収入額は、地方交付税算定の基準となる個人村(町)民税標準税収入額をはるかにこえ(昭和三八年度の村民税収入は前示のとおり約一四〇〇万円、前記標準税収入額は約三〇〇万円)、財政状態の良さは、上川支庁管内では上位にあるということ。

(2)  被告人は、昭和二二年四月中富良野村長に当選して以来ひきつづき再選を重ね、現在中富良野町長の地位にあるが、村民税賦課徴収の基本政策としては、昭和二七年以降所得割による村民税収入を毎年度約一三〇〇万円前後と定めて徴収することにしていたのであり、これは、被告人が中富良野村一般会計のうち右収入の占める割合としては、その額で必要、十分であると考えたほか、中富良野村が大正六年に上富良野村から分村した当時同村には水田はほとんどなく、爾来荒れはてた泥炭地が農民によつて開拓され、終戦後も営農に力がそそがれたが、農民が農業協同組合等からの借入金の利子に苦しみ窮乏していたため農民の所得が増加しても、自然増をみこまず村民税を一定の基準におさえておく方が妥当だと考えていたことに基くものであること。

(3)  所得割による村民税収入を一三〇〇万円程度におさえておくために、村民全体の所得が増加すれば、条例により税率を引き下げ、所得が減少すれば逆に税率を引き上げて調整をするという方法が用いられていたのであるが、それとともに本件で問題とされた給与所得者の法定外控除を昭和二七年ごろから併せ実施してきたのであり、法定外控除の方式は、昭和三八年度においては、地方税法三一三条一、二項、三一四条の二・一項、所得税法九条一項五号、中富良野村税賦課徴収条例によれば、収入から右所得税法上の「給与所得控除」と右地方税法上の「割増給与所得控除」および「基礎控除」を差し引いた額を給与所得者の村民税課税標準とすべきところを、右の「給与所得控除」と「割増給与所得控除」にかえて、一律に収入の三九%(一〇〇万円をこえるものについては、一律に三九万円)を控除するものとし、結局収入からこれと「基礎控除」とを差し引いた額を右課税標準とするもの(以下このような趣旨で一律に控除する方式を本件控除方式と呼ぶ。)であつたということがいずれも認められる。

被告人はじめ中富良野村財政担当者が、本件控除方式を必要と考えた理由をみるに、関係証拠によれば、

(1)  農業所得者の場合についても所得税賦課につき、確定申告方式が法律上採られているのであるが、実際に中富良野町の農業所得者の所得金額決定方法として行なわれているものは次のようなものであつということ。すなわち確定申告書の提出は毎年三月一五日までであるが、毎年一月頃富良野税務署は中富良野農民連盟等に対し、税務署の立場から調査、計算された数値である作柄別反当り収入から必要経費を差し引いた所得標準(田畑標準率)を提示し、これに対し、右農民団体および村長はじめ役場関係者が、その数値の基本となる反当り収量、必要経費について富良野税務署と折衝し、ここに最終の標準率(確定標準)が定まると、これを前記農民連盟等に公開し、農民連盟においては、各部落の代表からなつている執行委員会を通じて農民に周知させ、一方税務署は右確定標準の副本を村に送付して、村において個々の納税義務者にかわつて農家ごとにこの標準に耕作反べつを乗じ所得金額、税額の算定をおこない、所得税を支払うべき有資格者につき確定申告書が税務署に提出されるようになつていた。

(2)  当初税務署から示された所得標準率によつて算定された中富良野村農業所得の合計および税額の合計を、折衝をへたのち最終的に決定された所得標準によつたそれと比較してみると相当なひらきが出るのが通常であり、たとえば、本件公訴事実の対象となつている昭和三八年度の農業所得を例にとると、前者の計算によれば、所得金額の合計約一億八二〇〇万円、税額合計約二〇一〇万円であるが、後者の計算によると、所得金額の合計約一億三六〇〇万円、税額合計約一三四〇万円であつて、後者は、税額にして、七〇〇万円程度低額になつていること。

(3)  この場合税務署の前記調査とは別に、農民連盟、村の税務担当者等においても、反収および必要経費について調査してこれを把握したうえ、税務署と折衝するのを例としていたが、税務署が当初に示す数値が正しかつたり、あるいは村で把握している数値より低い場合でも、村長等は、農民の利益は結局において村を富ますものであるとの観点に立ち、税務署と農民団体との折衝を支援しその所得税負担を軽からしめるようにしてきたということ。

(4)  農業所得の算出にあたつては耕作面積自体が一つの要素となること前述したとおりであるが、中富良野村において昭和四〇年耕作面積の実測を行つたところ従来所得金額算定につき用いられていたものに比し全体で約一〇%の増加が認められたということを認めることができる。

これら諸事実に照らすと、少くとも同村における農業所得者の所得金額の捕捉が従来からある程度ゆるやかに行なわれていたと被告人等が認識していた旨の各供述は信をおけるものであると認められる。

右のような次第で、被告人は、所得税の関係では、中富良野村に関する限り、農業所得の捕捉が完全なものと言い難い状況になつていたことを認識しており、給与所得者と農業所得者の間において、所得税に関し実質的に不公平な課税が行なわれている実情にあると考えていたわけであり、地方税法三一六条の措置をとつてこの実質的不公平を是正する途があつたわけであるが、前述したごとく中富良野町ではその世帯数の七割余が農家であつたため、被告人としては、農民に対する所得税負担を軽からしめることは村を富ますゆえんであると考えていたのであり、地方税法三一六条の措置をとることにより右の実質的不公平を是正する場合、農民に対する所得税負担がより増大するという結果が自明であつたので、この措置を被告人としては採らなかつたわけである。同条の措置をとらない場合には、農民に対する村民税の課税所得金額は、所得税の関係で確定した課税所得金額と合致するのであり、条例による税率の上げ下げによつては、農業所得者の村民税負担と給与所得者の村民税負担上の不公平を是正することは不可能であつた。中富良野村においては、村民税収入は、前記のとおり約一三〇〇万円の水準を保つという基本方針があつたため、農業所得が前記折衝等によりすくなく算定されると、本来引下げ可能な税率が引下げられなくなつて、その分だけ給与所得者が不利にならざるをえないわけであつたのである。被告人は右のように考え、給与所得者の課税面における不利、不公平等を取除き、村民税を実質的に公平に課税するという村全体の行政をあずかる最高責任者としての政策の一つの実現として給与所得の算定にあたり、本件のように法定外の特別控除をするとともに農業所得者の村民税賦課にあたつては、前記所得税算出の基礎となつた必要経費の一部を否認してきたものと認められるのであるが、給与所得者の村民税賦課にさいし、法定外の特別控除をしてきたのはひとり中富良野村にかぎらず富良野町、山部村、上富良野町、南富良野村等富良野沿線の各町村においても同様であつたことも認められる。

証拠によれば右の各町村は昭和二七年頃から「富良野沿線税務研究会」を組織し、各町村は、税務担当者を右会議に出席させて、町村税務全般について研究協議させていたが、右研究会において、例年給与所得者に対する特別控除の問題が議題にのぼり、右各町村は、控除方式こそ異なるが負担の公平をはかる意味で法定外控除をすることについて申合せをすると同時に他町村の控除率について情報交換をしていたこと、右研究会には上川支庁地方課、富良野税務署等からも係員が出席し、給与所得者の法定外特別控除が議題になつたときも積極的に行政指導したことはなかつたがこれを十分了知していたこと、またこの研究会において、特別控除の法的根拠について、各町村いずれからも疑義が出たことはなかつたのであり、関心は専ら他町村がどの程度特別控除をするかという点にあつたことを認めるに足りる。中富良野村においては、昭和二七年以降昭和三九年まで、右研究会において示された他町村の特別控除率や、所得の変動を考慮して事務担当者が、各年度毎に控除率の案を被告人に示し、その了承を得たうえ、各年度の控除率(たとえば昭和三五年度三八%、三六年度三六%、三七年度三七%)に基づき村民税収入を計算し、これを歳入の部にかかげた予算案を村議会に提出し、その審議可決をへたのち昭和二七年以降昭和三八年までは右に従い、村民税徴収の執行をしてきており、また右各年度の歳入歳出決算については、村議会においていずれも認定を受けていること、中富良野村議会議員は、少くとも昭和三六年以降おおむね本件控除方式を了知しており住民のうちには、給与所得につき、特別の控除が行なわれていたことを知っていたものもあることは関係証拠上認められる。

更に証拠によれば昭和三九年五月の町議会において「町税賦課徴収事務調査特別委員会」が設置され、同委員会において、本件控除方式の法的根拠について疑義が出されるまでは、議会その他関係方面から、右の法的根拠につき、問題とされることなく本件公訴事実の対象となつている昭和三八年度まで、本件控除方式が昭和二七年以来継続してとられてきたのであることを認めることができる。

弁護人は、法が本件控除方式を禁じていない旨主張する。地方公共団体は、地方税を賦課徴収するにあたり地方税法および同法の範囲内で制定された条例に拘束されるものであり、地方税法三一三条一、二項中富良野村税賦課徴収条例二三条の二およびそれらが引用する所得税法九条一項並びに地方税法三一四条の二・一項、同条例二三条二項によれば、給与所得に対する村民税(所得割)の課税標準算出の方法は法定され、地方公共団体がこれと別異に課税標準算出の方法を定立しうるとする規定はなく、弁護人主張の地方公共団体の自立性および本件控除が納税義務者の税を軽減する措置であることを考慮しても地方公共団体が前記関係法令をはなれて、これらの法令に規定されていない村民税課税標準を定立しうると解釈することはできない。

地方税法三一六条によれば、市町村は、当該市町村の市町村税の納税義務者にかかる所得税の基礎となつた所得の計算が当該市町村を通じて著るしく適正を欠くと認められる場合は、自治大臣の許可を得て各納税義務者について、自らその所得を計算し、その計算したところに従い、市町村民税を課することができるのであるが、これにより本件控除方式に法的根拠が与えられるものではなく、その場合においても、所得の計算については、所得税法その他関係法令に従うことが要請されている。

また、本件控除方式が、一〇余年にわたつて慣行として行なわれてきたことは、前判示のとおりであり、弁護人はこれをもつて、前記関係法令と別個な法規範が制定されたと主張するが、この主張も亦採用の限りでない。

そこで、本件控除方式は法的根拠に欠け、被告人の所為は、その任務に違背した行為といわなければならないのであるが、被告人が任務に違背した行為をする認識を有していたかは、さらに検討を要する。

まず被告人は、本件控除が、給与所得者の村民税課税標準算出につき定めた前記地方税法その他関係法令の条文にない措置であることを認識していたことは明らかである。がしかし、これが右関係法令の解釈上もまつたく許されない措置であるとの認識までもこれを有していたかについては、以下のべるように疑問が残るところである。まず、租税法規は複雑かつ難解であつてこれに習熟していない者にとつて法文を読んだだけではその実体を容易に把握できないところであるうえに前記関係法令において、本件控除のような方法を禁止する条文がないこともたしかであつて、格別租税法規解釈に研さんをつんだわけでない被告人が、前示認定事実のとおり、本件控除は、ひとり中富良野村においてなされていたのみならず、富良野沿線各町村においても同様に行なわれていたのであつて、右各町村で組織し指導機関である上川支庁の係員が出席した前記税務研究会において、本件控除方式等を行なう旨の申し合せおよび具体的な内容についての情報交換があつたというのであることを根拠として本件控除が法的根拠をまつたく欠くものではないと考えたとしても無理からぬところであり、加えて、本件控除方式は、本件公訴事実の対象になつた昭和三八年度においてはじめてなされたものではなく、すでにみたように一〇余年の長きにわたつて、同様になされてきたにもかかわらず、その間、右控除方式をおおむね了知している村議会その他関係機関から、その法的根拠についてなんら疑義が示されたことはなく、かえつて本件控除にもとづき算定された村民税収入を歳入におりこんだ各年度の予算、決算はいずれも村議会において可決認定されてきたのであるから、本件控除の目的の前示合理性、正当性に対する強い確信の故に、その法的根拠について深く吟味する配慮を欠いていた被告人としては、関係法令上これが可能なものと漫然考えていたとしてもこれ亦無理からぬものといわなければならない。

現に、被告人がそう考えていたことは、被告人の検察官に対する昭和四一年五月一一日付供述調書六項中の「私は例年税務担当者から申し合せを聞き、他の町村でも行なつていることであり、又先程来述べているような理由から、間違つたやり方とはいえないと考え、法定外控除を続けてまいりました」旨の供述記載上うかがわれるところである。

もつとも、昭和三六年の地方税改正にあたつての自治省からの税法改正資料および昭和三七年の上川支庁からの通達が本件控除方式の根拠に疑義を示していたことは認められるが、右通達等が、本件のような控除方式が一切の法的根拠を欠くとまで明言していたか、および被告人がその趣旨にまで理解していたかは、右改正後においても、税務研究会での各町村の態度に若干の変化があつたものの、各町村は従来どおり本件控除方式を続ける旨意見を交換していた事実にてらせば速断しがたいところである。

岡田良之、林信一、被告人等の検察官に対する供述調書、当公判廷における供述をみるに、岡田良之、被告人の前掲検察官に対する各供述調書中には、本件控除は「地方税法又地方税法の基礎をなす所得税法で認められていないような法外控除……をやつており、違法であると私も思います。」(岡田の検察官に対する昭和四一年四月六日付供述調書)、「住民税を賦課する場合課税の対象となる所得を算出する過程に所得から一定の控除をすることが地方税法、所得税法に定められており、それ以外の控除は法律上許されていないことは知っておりますが……」(被告人の検察官に対する前掲供述調書)等本件控除が違法である旨認めたかの供述記載が散見されるが、これらの供述は、同人等の当公判廷における供述、右供述調書の他の供述記載部分、証人林信一の当公判廷における供述、さらには前掲認定した諸事実にてらすと、本件につき捜査官から取調を受けた時点においては、本件控除が関係法令の明文に反し、関係法令の解釈上も全く法的根拠を欠く違法なものであることを知つている旨を供述したに止るとみられる余地があつて、右各供述のみをもつて、被告人が、本件控除方式は、関係法令の解釈上もまつたく許されない措置であると昭和三八年当時認識していたと認定することはできない。

これを要するに、被告人の任務内容は前記関係法令により定まるところであるが、被告人が、本件控除は、関係法令上の許されない措置であることを認識していたという事実が合理的疑いをこえて立証されていない本件においては、任務違背の認識の点の証明が不十分なものといわなければならないのであり、単に被告人が、前記関係法令の明文に抵触する行為をなしている一事をもつて、任務に違背して行為する認識を被告人が有していたと認めるわけにはいかない。

公訴事実第一の(二)(退職金関係)について

関係証拠に照らすと、昭和三九年四月中頃、税務係長岡田良之が、中富良野役場において、助役林信一に対し、被告人の退職金につき前記公訴事実記載の過少村民税賦課をするのがよいのではないかと進言し、林はその頃、その話を被告人に伝えたところ、被告人は手を振りながら「いや、いや」あるいは「いいよ、いいよ」と答えたということ、同じころ岡田は林助役から町長に当然話が伝わつてゆくものと考え、税務係員谷昇に命じ、被告人の退職金についての村民税計算に当り正規の課税標準の二分の一の金額を課税標準として課税調書中の退職所得欄に記入させたこと、課税調書には町民税道民税とも退職所得に対するものとその余の所得に対するものの欄があり、この二種の所得についての町民税道民税は別々に計算され、その合計が所得割額欄に記載され、さらに道民税と町民税についての各所得割額の合計が年税額欄に記載されるものであること、収入原簿には、課税調書と異り退職所得に対する欄、その余の所得に対する欄の別はなく、課税調書の所得割額欄に記入された町民税、道民税の税額の数字が年税割欄に転記されること、通例第一期および第二期村税納付告知書には、収入原簿記載の町民税道民税の合計の二分の一が町民税、道民税なる欄に記載されるものであること、昭和三九年度の被告人を納税者とする第一期町民税納付告知書が税額三万〇三二〇円として発行され、同年五月二三日右税額の納付のなされていること、村税納付告知書の発行については、収入命令簿が町長の決裁をへこれにより告知書発行がされるのであるが、収入命令簿決裁に当つては収入原簿のみが町長に提出され、だれだれほか何名計いくらという形で一括して収入命令簿の決裁がなされることが認められる。

被告人は、退職金は神社建立費に寄付していたから、いくら支給されいくらの税金を支払つたか関心をもたなかつた旨当公廷でも述べるし、また、村議会においても竹久議員から質問のなされた折にも同旨のことを述べているので、この供述につき考えてみるに被告人の昭和四一年五月一七日付検察官に対する供述調書によれば、取調当時被告人は、この件につきほとんど記憶にない趣旨の供述をしているのみならず、証拠によれば、中富良野町においては町立小、中学校の敷地を拡張するため、隣接する中富良野神社を移転する必要にせまられていたが、その予算の不足を補うため、被告人は昭和三八年中右退職金三五九万余円のうち一五〇万円を寄附したことが認定でき、このように、被告人は町の利益のためには多額の私財を擲つことも辞さないような性格であり、現に退職金全体の四割以上にあたる金額を町の利益のために提供している次第であるので、その課税標準を半額にして納税額においてたかだか三万円足らずの減少となるにすぎない措置をとることについては、たいした関心を持たなかつた、ものと考えざるをえない。

被告人が手を振りながら「いや、いや」とか「いいよ、いいよ」と述べたことの意味はすこぶる曖昧であり右のような被告人の関心の薄さを参酌して考えると、これを林の提案に賛意を表したものと理解する余地もあれば、その反対の趣旨の表現であるとみることも必ずしも不合理ではない。現に林は、賛同を得られたものと理解して退出したものであるから、これをそのように理解する余地もあろう。しかし、前述のような金銭に淡白で私財をなげうつて村につくす被告人の性格と退職金の実際の使途とに照らして考えると、わずかばかりの納税額の削減のために右のような姑息な手段を講ずることに対し、被告人が一言の反駁を加えることもなく、何等の説明も求めずして、やすやすと賛同したとはにわかに考えられず、むしろ、被告人が当公判廷で供述するように、林の提案を拒絶した趣旨か、あるいは当惑のあまり賛否いずれでもない曖昧な態度を示したにすぎなかつたと解する余地が多分にあるといわざるを得ない。したがつて、被告人の右の表現のみによつては、課税標準を半額にするとの林の提案に被告人が賛意を表し、背任行為を共謀したものと認めるに足りない。

以上のようなわけで、林から右の話のあつた折被告人が、退職金についての町民税を減少させることに同意したと認めることはできないのであるが、被告人を納税義務者とする第一期納付告知書には、同人の退職金に対する税を減少させるように計算された金額の記載があるため、町税納付告知書発行にあたつての収入命令簿決裁を通じ被告人が右岡田、林と共謀したのではないかと疑われるのであるが、前述したとおり、納税告知書発行の基礎となる収入命令簿決裁にあたつては、決裁は一括してなされるのみならず、決裁にあたり添付されている書類は収入原簿のみで、この記載だけでは、同人に対する退職金の税を減ずる計算がなされていたかどうかは判定しえないところであるから、退職金の税が少く計算されていることを被告人が知つて決裁したとは考えられないのであり、これを知つて決裁したことを証する証拠もない。さらに被告人が税務担当者である岡田に対し自己の退職所得の課税標準を少くするよう直接指示したという証拠もない。従つて公訴事実第一の(二)記載のような共謀を被告人が林、岡田らとなしたということについては合理的疑いを超える証明がなされたとは認め難い。

公訴事実第二(職員共済関係)について

関係証拠に照らせば、昭和三六年一二月施行の地方公務員共済組合法の下で、中富良野村(町)役場職員全員(昭和三八年四月当時総員四四名)が北海道市町村職員共済組合に加入し昭和三八年四月より昭和四〇年三月の間も前記職員全員が同組合の組合員となつていたこと、組合は、組合員に対する給付等の費用にあてるため、組合員から掛金を、また組合員の属する地方公共団体から負担金を徴する建前になつており、掛金、負担金は、組合の短期給付等に要する費用としての掛金、負担金と長期給付に要する費用としての掛金、負担金とに分れており、両者とも各組合員の給料の額に、北海道市町村職員共済組合定款及びその付則に定める率を乗じて得た額であり、掛金については、職員の給与支払者である市町村が組合員よりこれを給与支払の都度徴収し、一括のうえ、負担金とともに毎月共済組合に払込むことになつていたこと、昭和三八年四月以降同四〇年三月までの間中富良野村(町)においては、給与支払の都度徴収する掛金につき前記定款の定めと異り定款の定めを下まわる独自の実行率を設定し、職員から徴収する掛金を減じ、反面町村の支出する負担金の率を右実行率により下まわつた掛金の率相当だけ増加させ、公訴事実第二の(一)(二)(三)記載の通りの過大な支出がなされていたこと、この過大な支出分については、昭和三八年度には負担金補助および交付金の費目、昭和三九年、同四〇年度においてはいずれも共済費の費目の下に、正規に支出すべき負担金と合算して予算案中に計上されており、この点につき村(町)議会で問題とされることなく各年度とも審議可決され、またこの過大な支出を含む歳出決算等が議会において認定を受けていたこと、右の過大な負担金支出分すなわち本来職員より掛金として徴収すべき分は、支払命令欄のある仕訳書中には、共済組合掛金吏員負担分なる欄に赤字で記入され正規の負担金額にこの吏員負担分を合算したものが共済組合負担金なる欄に記載されており、この仕訳書上部の支出命令欄に村(町)長の決裁があると、収入役が支出をなし、支出仕訳書上は、右の過大な支出分は赤字で共済組合掛金負担金欄に記入され、本来の負担金に掛金負担金なるものを合算したものが支出仕訳書の支出金額欄に記入されていること、職員より現実に徴集した掛金と、本来の負担金及び掛金負担金なるものを合算し町費から支出した負担金とが併せられて共済組合に払込まれることになるが、その際月例報告書なるものが共済組合宛に提出されること、この月例報告書には、正規の率による掛金及び負担金額が記載されるため、この報告書を村(町)長の決裁に出す折、中富良野町独自の率による計算書(なる表示のあるもの)および正規の率による掛金および負担金の額を計算した計算書(なる表示のあるもの)が作られ、これが添付書類として決裁に出されていること、昭和三八年四月以降同四〇年三月迄の間に決裁された前記仕訳書(支払命令欄のあるものおよび月例報告書にはすべて森村(町)長の決裁印のあること、毎月村(町)が本来の負担金に加えいわゆる掛金負担金をいくら余分に支出したかについての明細については被告人は記憶してはいないが、毎月右の余分な支出を含む支出を命じていたことについてはその都度認識していたことが認められる。

以上認定したようなやり方で、本来職員から掛金として徴集すべきものを村(町)が負担することは法的根拠に欠け、町職員を利し町に同額の損害を与えるものであり、また地方自治法二〇四条の二にも反するものである。しかし被告人が訴追されている背任罪が成立するためには、被告人が「任務ニ背キタル行為ヲ為」すことを認識していたことが立証されることを要する。

関係証拠によれば、昭和二三年一一月二日付で上川支庁管内町村会長古東久平より各町村長宛「健康保険の納付金」についてと題する書面が配付され、その書面の内容が「健康保険法の改正によつて町村吏員は強制的に健康保険の被保険者となつたのであるが、その納付金は給与額の百分の四であつて負担割合は町村及び吏員が各百分の二を原則とするから従来の町村職員医療組合の吏員納付金に比すれば相当多額の負担となり吏員待遇上遺憾とするので過般開催の北海道町村職員医療共済組合評議員会において町村は百分の二・五、吏員は百分の一・五の割合を以つて負担することに申合せを致しましたから、なるべくこの趣旨に副うように御処理御願致します」という文面のものであつたこと、中富良野村では、当時も村長であつた被告人がこの要望をうけて、村議会に補正予算を提出し、村が職員にかわつて負担することになる納付金について予算措置をとつたこと、その後共済組合制度には数次の変遷があつたが、中富良野村においては、右の要望にのつとり、本来職員が負担すべき掛金の一部を村が負担するやり方を維持し、各年度毎に、本来村が負担分として支出すべき金額に、本来職員が負担すべきものを村が代つて負担する金額を併せ、負担金として予算に計上し、村議会の予算可決をへ、その予算の執行をしてきており、このやり方が昭和三八年度ないし四〇年度も継続されていたこと、人口一人当り人件費による職員給与の比較をみるに中富良野村(町)の場合昭和三一年ないし三九年の間上川支庁管内町村の平均および全道町村の平均に比し、いずれも三割余低いのであり、これは他町村に比し職員数が村人口に対比して少ないこと、昇給を見合せまた諸手当の支給がなされていなかつたことに基づくのであり、このような状況になつたのは、再度にわたる学校の火災などにより村(町)財政が苦しかつたことがその一因をなしていること、共済掛金の一部を村(町)が負担するやり方を採用し十数年間にわたり継続してきたことについて、被告人としては、他町村に比し忙しいのに給与が低い状況にあつた職員に報いるという考えと、職員数を増加し給与を改善することにより生ずる財政負担に比し、共済掛金の一部を村(町)が負担し、実質的給与の改善を行なう方が財政負担が少いとの考えを有していることが認められる。

昭和二三年の上川支庁管内町村会長名の前記要望文書中には「過般開催の北海道町村職員医療共済組合評議員会において申合せをした」旨の記載がありこの要望に沿つて当時も村長であつた被告人が公然村会議に補正予算を提出し、共済掛金の一部を村が負担する措置をとつていることは前述のとおりであるが、これに鑑みれば、当時、共済掛金の一部を村が負担しても共済組合評議員会で申合せがなされ、これにつき上川支庁管内町村会長が要望書を配付する位であるから違法ではなく、また当時職員の給与が低かつたため好ましい可能な措置と被告人が考えていた疑がある。その後十数年の間毎年掛金の一部負担につき予算に計上していること、公文書である支払命令欄のある仕訳書に吏員負担分なる欄があり、毎月の支出のたびに赤字で該負担分を書きこれと本来の町負担分を合算した数字を負担金なる欄に記載した仕訳書を用い支出命令の決裁をしていることに照らせば、被告人において共済掛金の一部を村が負担することの違法性について認識を欠ていいたのではないかと思料される。支出後収入役の作成する支払仕訳書にも共済掛金負担金なる欄のあること前述した通りであり、これは村長である被告人のみならず収入役やこれを補佐する任にあつたものたちも、共済掛金の一部を村(町)が負担することの違法なことに思いを全くいたしていないことの左証と考えられないことはない。

もつとも直接の事務担当者である塚田醇一は、本件のようなやり方が正しいやり方ではないと考え、これを昭和三八年当時助役であつた島口豊に相談した事実が認められるが、右塚田の認識が右島口を通じて被告人に伝つていたとみるべき証拠はない。また、昭和四〇年度の予算編成にあたり、林助役、岡田課長等の間において、本件のようなやり方を続けるかどうかについて疑問が出されたことが認められるが、これは前記のとおり昭和三九年に議会内部から前記給与所得者の特別控除につき、被告人に対する告発問題が起きる等町行政全般に批判が出てきたことを慮んぱかつた故とみることができ、証人林の当公判廷における供述(第四回公判)にてらしても、林、岡田等において、本件支出行為が違法だとの認識を有していたと速断することはできない。また、証人竹久貞雄の当公判廷における供述(第一〇回公判)によれば、四一年三月の定例町議会終了後、右林および岡田が、本件支出行為は法規の建前上問題があるとの趣旨のことを右竹久に話した事実が認められる。かような次第で昭和四〇年頃には林、岡田らは、本件支出行為の法的根拠には疑問があるのではないかと考えるようになり検討を要する問題であるとの認識を有するようになつていたが、そのような問題が同人等から昭和三八年から四〇年の間に被告人に提示されて被告人がこれを認識した事実を認めるべき証拠はない。

さらに、被告人の検察官に対する供述調書(昭和四一年七月七日付)中には、本件のやり方は「間違つたやり方」であると認める趣旨の供述があるが、これらを全体として仔細に検討すれば結果として違法なやり方をしてきたことを認めたにとどまるのであり、また、被告人は当公廷で地方自治法二〇四条の二の存在を知つている旨供述しているが、現在迄に知つているという趣旨とも解せられ、これらはともに本件所為時の認識を供述したものとみることは困難である。右供述が本件行為時の認識をのべたものと仮定しても、被告人は一方において、本件支出行為が予算の議決により議会の承認を得ているから違法なものでない旨のべているところに照せば、この場合において本件支出行為が前記地方自治法の規定に抵触しないと被告人が考えていたのではないかとも推認される。本件のような掛金の一部町負担は前述のとおり昭和二三年以来継続して行なわれていたものであるが、昭和三一年、地方自治法二〇四条の二が新設された当時、この条文と本件のような掛金の一部負担との関連を被告人が吟味してみたことを認めるに足りる証拠は全くないのであり、このことは右のような推認をうらづけるに足るものといわなければならない。

本件支出が法的根拠を欠くことは、前説示のとおりであり、被告人としては、共済金の納付につき組合定款に定められた負担率と異る負担率でもつて、村(町)費を支出していたことを認識していたことも明らかであるが、以上の事実にてらすと、右の支出行為がまつたく法的根拠を欠き自己の権限からはずれたものであるとの認識を被告人が有したかについては、合理的疑いをこえて立証されているとはいえないのであり、任務違背の認識の点につき証明不十分といわなければならない。

公訴事実第三(議員共済)について

関係証拠によれば、中富良野町議会議員(昭和三九年当時総員三二名)は、昭和三九年四月以降、地方公務員共済組合法に基づき設立された町村議会議員共済会に全員加入したこと、昭和三七年任意加入であつた当時中富良野村では、共済掛金につき公費負担の方法がとられていなかつたこと、昭和三七年四月一日現在道内の町村中一六八の町村の議会議員が共済会に加入しており、うち一〇二の町村では組合掛金が全部公費で負担されていたこと、議員報酬の低額な町村においては、右共済会の掛金が各議員の負担になるばかりでなく、当時の右組合法によれば、共済会が議員に給付する退職年金は在職一二年以上で退職したときにかぎる等の不合理な点があつたため(同法一五七条、一六一条一項参照)昭和三九年頃上川議長会において、掛金は各自負担の建前であるが、何らかの方法を講じなければならないとの話し合いがなされたこと、この話し合に基ずき中富良野村(町)議会事務局においては、昭和三九、四〇年度とも、議員掛金を村(町)費でもつて負担すべき予算要求をなし、右に応じて予算案が作成され(「節」「共済費」として)、村(町)議会の審議、可決をへたのち、村(町)費の支出が本件公訴事実記載のようになされ、両年度の本件支出を含む歳出決算がいずれも認定されていたこと、右経緯は昭和三九年度、四〇年度中の議会においてはなんら問題とされることなく、また村(町)側の岡田総務課長(収入役代理兼務)においても、昭和四一年度にいたるまで、議員共済会の掛金は村(町)の負担金として処理されるものだと誤解しており、林助役も本件支出は適法だと考えていたことが認められる。

議員共済についても給付等に要する費用として組合員から掛金を市町村から負担金を徴する法の建前であるが、現在迄市町村の負担金の率について定めがなされず専ら組合員の掛金が給付等に要する費用の財源となつている。従つて議員の共済掛金を町村が全額負担することは、地方公務員等共済組合法に照らせば違法であり、地方自治法二〇四条の二にも反するわけであるが、全証拠によつても被告人が、議員共済金を町村が負担することが違法であることを昭和三九年、四〇年度において認識していたことを証する証拠はないし、また昭和三九年当時議会からの予算要求に従い負担金を予算案に計上するにあたり、被告人がこの予算要求の可否につき法律的吟味を加えたことを証する証拠もない。

従つて、議員共済掛金を町で負担する支出を命ずるにあたり、被告人が、その所為が被告人の任務に反した行為であると認識していたことを証する証拠がないことに帰する。

従つて、職員共済組合の項で論じたと同様、任務違背の認識につき証明不十分といわなければならない。

第三、結論

本件は、いずれも中富良野村(町)行政に関するものであるが、公訴にかかる事実につき、被告人が村(町)として、行政責任、政治責任を負うべきかどうかは当裁判所の判断するところではない。

以上のべてきたとおり、全公訴事実につき犯罪の証明がないことに帰着するから、弁護人のその余の主張につき判断するまでもなく、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

よつて主文の通り判決する。(時国康夫 橘 勝治 石井一正)

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